いただきます!

とうもろこし

とうもろこしを半分に折って2本にして、鍋でゆでる。煮立ってくると、湯に浮いた2本のとうもろこしが、水車のように勢いよく回転し始める。はじめは面白いと思って眺めていた。
見ているうちに、いろんなものを連想する。生きた魚などをそのまま熱湯に投げ込む、まだ潮をぴゅっぴゅっと吹いている貝をゆでる、あるいは釜茹でにされた石川五右衛門の最期。熱湯にゆでられて殺される生き物が、熱くて、苦しくて、切なくてもがいている様子に見えてきた、湯の中で回転するとうもろこしが。拙者はまさにいま、とうもろこしを殺しつつあるのだ。
禅宗のお坊さんから聞いた話をふと思い出した。「食事の前にいただきますと言うのは、なにをいただくのか?命だ!」
植物でも動物でも、生き物である限り、なんらかの形で生きようという意思はもっているに違いない。人間は動物と植物のそれを、ベジタリアンであっても植物のそれを否定しないと生きていけない。いや、ほかの動物も動物や植物を殺して生きている。植物の中にも、他の動物を殺して生きるものもあるという。
お坊さんは続けて言った。「仮に、おれがゴジラに捕まって食われるとする。そのときは、ゴジラも生きていかねばならないからと考えてあきらめる。しかし、もしゴジラがおれに踊り食いのようなことをさせるとするなら、おれは怒りで死んでも死にきれん。どうせ食われるにしても、徹底的に暴れてやる。」
人間はゴジラだ。どちらにしても、生き物の命を絶たないと生きられない。食べられる生き物が喜んで殺されてくれるなどとは思わないが、しかたがないと許してもらえる態度で食べ物に接したい。
口に出すにせよ、心の中で唱えるにせよ、「いただきます!」を食事のたびに忘れないようにしようと思う。肉体が、生き物の犠牲によって成り立っていることに感謝し、殺した生き物が許してくれるような生きかたをしなければいかん。
とうもろこしのおかげで、大切なことを思い出した日だった。