無事に生きてきた

今日は新潟沖で大きな地震があった上に、近所で火事も起こった。また、過日は大きな台風が西日本を襲った。
拙者は運のいいことに、震度4以上の揺れを経験していない。関東に住むようになってから、このくらいの地震は二回あったが、いずれもたまたま故郷に帰ったときに起こった。だから、震度5や6がどのようなものかは想像すらつかず、ただ非常に恐ろしいものだろうと思うばかりだ。火事もそんなに近くであったわけではなく、野次馬として見に行くくらいの距離だ。
災害ばかりではなく、死にそうな思いをしたこととか、家庭の問題などで苦労したこともないし、仕事でもたいして重圧になるような任務は背負ったことがない。
いままであまりにも無事に生きてきたことには、感謝しなければばちが当たる。しかしそれが、拙者を失敗を恐れる軟弱者にしてきたことにも思い当たる。恥を恐れて、好きな人にそれを伝えられなかったり、失敗を恐れて、本当にやりたいことや一段上の仕事を避けてきた。要するに勝負を避けてしまう。その結果、人生の幅を自ら狭めてしまっていると自覚している。
拙者の亡き祖父は、戦後裸一貫から事業を立ち上げた男だ。私財をはたいて未知の事業を起こし、従業員を20名ほどかかえるまで成長させて、父に後を譲った。多くの困難があったと思うが、一度も不安な素振りや怒りを会社の人に見せたことがないという。祖父が自慢話をしたことは記憶にないが、戦争でどこかの外地(東南アジアのどこかだろう)にあった頃、よく陣地が敵の空襲を受けたときの話だけはしてくれた。「空襲を受けているときにも、仲間と花札を続けた。慌ててどこかへ隠れても爆弾が落ちてくるかもわからないことは同じだから」と冗談っぽく話す。帰還する船では、マラリアにかかり生きるか死ぬかの状態で、ようやく実家に戻ってきた。
内地に残った人たちも、空襲で死ぬ思いをしたり財産を失ったりし、少なくとも飯が食えないという経験だけはほぼ等しくしてきただろう。戦後の日本を復興させてきたのは、こういった人たちの「死んだつもりになれば失敗などなんでもない」という胆力だったことは間違いない。
もちろん戦争も災害も貧困も、ないに越したことはない。しかし、そうした苦労で人間が大きく成長することは事実で、そんな目にあったことがない拙者のような人は、ある意味不幸なのかもしれない。もう三十路半ばの身では、成長の余地もあまりないかも知れないが、これからは少し苦労を背負い込むような生きかたを心掛けたい。そして、軟弱者ぶりを克服したい。
この数日の間の災害にあった方々の多くが早く被害から立ち直り、不幸を転じて成長されることを祈る。